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WAYS 道を拓く Interview 道を拓く Interview vol.5 新富士バーナー株式会社 MARCH 12, 2025

新富士バーナー株式会社
新富士バーナー株式会社

道を、知る。 新富士バーナー株式会社 代表取締役社長 山本 晃 火を守り、火を活かす技術が拓く「炎のある暮らし」 道を、知る。 新富士バーナー株式会社 代表取締役社長 山本 晃 火を守り、火を活かす技術が拓く「炎のある暮らし」

愛知県豊川市に本社を構える新富士バーナーは、1978年の創業以来、燃焼器具・バーナーの専門メーカーとして独自の道を歩んできた。工業用バーナーからスタートし、農業用、アウトドア用、厨房用へと活躍の場を広げ、現在は「SOTO」ブランドをはじめとする多彩な製品を展開。さらに近年は、東京五輪・パリ五輪の聖火リレートーチの燃焼部の開発や「火育(ひいく)」活動など、火の可能性を追求する新たな挑戦を重ねている。
山本晃社長は「変化はチャンス」と語り、時代とともに変わりゆく火の価値を見つめ直す。危険視される一方で、人々の暮らしに欠かせない火。その両面と向き合い続ける同社の姿勢からは、「炎で暮らしを再発明する」という理念の確かな実践が見えてくる。

INDEX

火とともに歩む
バーナー専門メーカーの挑戦

新富士バーナー株式会社

さまざまなメディアで話題を集める新富士バーナーですが、あらためてどんな会社かご紹介ください。

山本 : 社名に冠している通り、私たちは燃焼器具・バーナーの専門メーカーです。最初の一歩を標したのは工業用バーナー。ガソリンを燃料としたトーチランプの製造から始まり、その後、農業用、アウトドア用へと領域を広げ、近年では料理人が手にする炙り用バーナーまで、"火"と向き合うさまざまな現場に製品を届けています。

バーナーのみで事業を展開している企業は、業界でも珍しい存在です。例えばアウトドア業界では、テントやシュラフから、テーブル、チェアまでをトータルで手がけるメーカーが主流ですよね。その中で私たちは、「燃焼器具」という一つの領域に特化した道を歩んできました。

創業が1978年。社長就任が2007年ということですが、その頃の新富士バーナーはどのような状況でしたか。

山本 : 当時は、アウトドア用バーナーを始めて15年ほど経った頃。アウトドアはその当時から何回かブーム的な動きを繰り返していまして、第二次ブーム的な形で売り上げを伸ばしていた時期だったと思います。
ただ、その直後にリーマンショックが起き、世界中が大変な時期を迎えることになります。当社も多くの分野で売上を落としましたが、アウトドア部門がプラスになってくれたことで、トータルでは何とか業績を維持することができました。今でこそアウトドア部門は全体の4割弱を占める主力事業となっていますが、その基盤ができたのもこの時期だったように思います。

アウトドア業界への進出は、どんなきっかけからでしょうか。

山本 : 1990年に「ポケトーチ」を開発したのがきっかけです。当時、私は営業と開発の責任者を務めていました。小さな会社でしたから、みんないろんな役割を兼務していた時代です。基本は工業用と農業用のバーナーがメインでしたが、そんな中で、100円ライターを燃料にしたバーナーを開発しました。これが実は思いがけない展開を見せることになります。
最初は、使い道さえ定かではない。役に立つかどうかわからないけれどアイデアとして面白いな、という程度の気持ちでリリースした製品でした。当時は工業用のルートしかなかったので、ホームセンターの工具売り場で販売を始めたんです。ところが実際にお使いいただいたユーザーの方々から、「アウトドアの着火用に使うと便利」という声が届くようになった。SNSもない時代でしたから、すべて口コミや雑誌での紹介がきっかけでした。

それが「SOTO」ブランドの立ち上げにつながっていったのですね。

山本 : はい。当時、日本の高温多湿な気候で、海外のアウトドア製品はすぐに錆びてしまったり、燃料が高価で手に入りにくかったりと、日本のインフラにはあまり適していませんでした。それなら、ポケトーチのように日本の環境に合った製品が作れるのではないか。今から思うと、大した知識もないレベルでの、少し無謀な挑戦だったかもしれません。でも、そんな思いから1992年に「SOTO」ブランドを立ち上げ、日本の「外」で使う道具として展開を始めました。

アウトドア業界への進出のきっかけとなった「ポケトーチ」(1990年開発)

その後、2001年には画期的な製品をリリースされます。マントルのないランタン、プラチナ発光の「Gメタルランプ」ですが、これは結果的に後の五輪聖火リレートーチの燃焼部にもつながる技術となったそうですね。

山本 : 販売当初は失敗作でしたね。従来のランタンで手間となっていたマントル(発光塗料の塗られた繊維状の光源。使用時に空焼きする必要があり、振動に弱い欠点を持つ)をなくし、金属のプラチナを発光させる。プラチナの触媒燃焼によって、風に強く、消えにくいという特長もあり、技術としては画期的でした。でも、実際のお客様の使い勝手という面では、プラチナ発光自体がそれほど明るくないことと、製品が非常に高価であることが課題でした。作り手のエゴが出てしまった商品だったかもしれません。

ただ、その技術が20年以上の時を経て、思いがけない形で活かされることになります。東京五輪の聖火リレートーチの燃焼部の開発です。プラチナ発光の技術と、アウトドア製品で培ったレギュレーター(ガス圧調整)の技術を組み合わせることで、風雨に強く、安全性の高い聖火リレートーチの燃焼部を実現することができたのです。
そして、2024年のパリ五輪でも同じ技術が採用されることになりました。ただ今回は、東京のときとは違う難しさがありました。東京ではプロダクトデザイナーと話し合いながら、お互いにキャッチボールをして解決していくことができたのですが、パリの場合は時間もなく、決められたデザインの中に燃焼部を収めるしかありませんでした。デザイナーからは、「走ったときに横から炎がフラッグのようにたなびくようにしてほしい」とも。できるかできないか、やってみないとわからない。最初はなかなかうまくいかなかったのですが、最終的にはクリアすることができました。当社だけだったら絶対こういうものは作りませんので、当時の私どもからすると高いハードルがあったからこそ、新しいステップに進むことができたと思っています。

マントルのないランタン、プラチナ発光の「Gメタルランプ」(2001年リリース)

技を磨き、価値を伝える
こだわりが育む火のものづくり

新富士バーナーのものづくりについて、価格競争が激しい市場において、どのような戦略で他社と差別化を図り、優位性を保っているのでしょうか。

山本 : 一番の強みは、バーナーに特化しているところだと思います。工業用、アウトドア用、農業用、厨房用、それぞれの業界の常識と非常識というのが結構違うんです。こちらの業界で常識的なことが、別の業界では非常に新しかったりする。そういった意味では、横展開することにより新しい価値を生み出せる。それが一つの強みになっています。

工場でも、私たちなりのこだわりを持っています。特に検査工程では、人の目による確認が重要な役割を果たしています。例えば、バルブに圧力をかけて水没させ、そこから出てくる気泡を見るテスト。1ミリにも満たない泡が2、3分に1個出るか出ないかを見つけなければいけない。それも3,000個に1個ぐらいの不良を見つけ出すような検査です。こういった工程は、なかなか機械では対応が難しい。
もっと機械化したい部分ももちろんありますが、人の目や手でしかできない部分も確実に残っています。

愛知という土地でものづくりをすることに、どのような意義を感じていらっしゃいますか。

山本 : この地域には、非常に優秀な技術を持った工場が数多く集積しています。そういった環境の中で、さまざまな技術や知見を吸収できることは大きな強みですね。
基本的に、ガスを止めたり開いたり調整したりという「心臓部分」にかかわる部品は私どもの社内で作っていますが、それ以外の部分については、私どもではできないような技術を持った協力企業に外注をお願いすることも少なくありません。

当社と同じ愛知に本社を置く朝日インテックに関しては、ものづくりのこだわりに関して共通するものを感じます。実は私、3年前に心臓の手術をしまして、カテーテルでお世話になっているということに気がつきました。

一方で当社は、海外での歴史は浅いです。インフラの確保であったり、燃料の問題であったり、簡単ではない面も多くあります。例えば燃料を輸出するのは、それぞれの国の法律の関係もあってなかなか難しい。そういったこともあって、海外の売上比率はまだ全体の10%強にとどまっています。売り上げは良いときと悪いときが混在しているような状態ですので、今後この海外の割合は引き上げていかなければいけないと考えています。

新富士バーナーでは「火育」という活動にも取り組まれていますね。

山本 : 「火育」は、アウトドアのイベントを通して、火について知る・学ぶ・ふれる機会を提供する活動です。近代化にともない、火や燃料は危険なものとして扱われ、さまざまな代替手段に置き換えられてきました。
ところがアウトドアには、あえて不便を楽しむ文化があります。自分で火をつけて、その火を育て、料理などに活用する。そういった体験を通して、あらためて火の価値を見直すきっかけになればと考えています。

最近気がついたのは、この「火育」は実は大人にこそ必要だということです。今はオール電化が増え、スイッチ一つで暖房も調理もできる時代。でも数十年前まで、私たちの暮らしは火で支えられていた。そのことを大人も子どもも知らなくなってきている。だからこそ、火と向き合う機会を作っていきたいと考えています。

変化を捉え、未来を創る
「炎で暮らしを再発明する」

BtoBとBtoCで事業を展開する中で、新富士バーナーに共通するWAYS(信念・道)は何でしょうか。

山本 : 2024年、私たちはあらたに「炎で暮らしを再発明する Firetech Companyへ」という理念を掲げました。熱であったり、灯りであったり、癒しであったり、ぬくもりであったり。そういった火が持つ付加価値を使って暮らしを豊かにしていくことが、私たちの使命であり、生き残る一つの道とも考えています。

変化が非常に大きく、早い時代です。100年に一度とか200年に一度という変化が、頻繁に起こっているような気がしてなりません。その変化自体は、良いことも悪いこともたくさんありますが、いずれも私たちにとってはチャンスだと思って、それにスピード感を持って対応していくことで、また新しいものが見えてくる。いろいろな危機があっても、乗り越えれば新しい景色が見えてくるはずです。

最後に、新富士バーナーが描く未来像についてお聞かせください。

山本 : 私たちは「炎の総合メーカー」として、時代とともに変わっていく火のポジションを見つめ続けています。これからも製品を通じて、火の持つポジション、地位というものをもっと高めていければと考えています。火というものは、うまく使えばこんなに便利で楽しいものはありません。でも同時に、その危険性も知っていただきたい。

一番良くないのは、「火なんか使わない方が安全だ」という考え方で、どんどん火が生活から遠ざかっていくこと。そして、なくても困らないという状況になることです。実際、東日本大震災や能登半島地震の際、カセットコンロが備蓄されていても、気温が10度を下回るとガスが気化せずに使えなくなってしまう。そんな中で、寒冷地でも使える当社の製品が役立つことがありました。インフラが途絶えたとき、火の存在がいかに大切かを、私たちは経験として知っています。

これからは化石燃料を燃やすことにも、さまざまな制約がかかってくるでしょう。バイオ燃料など、新しい燃料にも対応していかなければなりません。
私たち自身が新しいエネルギー源を生み出す力はありませんが、そういった新しい燃料をいち早く取り入れて、安全性を担保しながら火の価値を高めていく。それが私たちの役割だと考えています。

取材・文=鬼頭英治(エディマート)/
写真=北川友美

新富士バーナー株式会社 代表取締役社長  山本 晃

新富士バーナー株式会社 
代表取締役社長

山本 晃AKIRA YAMAMOTO

1957年愛知県生まれ。愛知工業大学卒業後、1981年に新富士バーナー株式会社に入社。営業と開発の責任者として1990年にポケトーチを開発、1992年にはアウトドアブランド「SOTO」の立ち上げに携わる。2007年、創業者の父・始氏の後を継ぎ代表取締役社長に就任。プラチナ発光技術を応用した東京五輪・パリ五輪の聖火トーチ開発や、火育活動を通じた防災意識の啓発など、火の価値を再定義する取り組みを推進。幼少期からアウトドアに親しみ、現在は孫たちとのキャンプも楽しむ。

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