スマートフォンをはじめとする多くのテクノロジーを、飛躍的に進化させた青色LED。名古屋大学の天野浩教授は、四半世紀、実に1500回を超える実験を経て、その核となる窒化ガリウムの結晶を生み出し、青色LED発明の業績から2014年にノーベル物理学賞を受賞した。その後、青色LEDは多くの研究者により技術改良が続けられ、未来の暮らしを支える重要な鍵となっている。
今回は、あくなき探究心で青色LEDや窒化ガリウムの可能性を追求し続ける天野教授と、朝日インテックの研究開発を統括する西内誠取締役が、それぞれの信念や未来への想いを語り合った。
INDEX
未来を切り拓く可能性を知り
青色LEDの研究へ傾倒
HIROSHI AMANO
最初に天野教授が工学の道へ進まれたきっかけからお聞かせください。
天野 :
もともと数学は得意でしたが、工学に通じるものといえば、中学の頃に夢中になったアマチュア無線がきっかけになるかもしれません。大学進学の際、ものづくりの企業に勤めていた父親から「工学ならつぶしがきく」と勧められたこともあり、機械か電気の選択なら自分は電気だろうと。
あまり心して工学の道へ進んだ感じではなかったのですが、大学で年輩の先生が「工学は人と人とをつなぐ学問だ」とおっしゃっていたことから、やりがいを感じるようになりました。
西内 :
私が工学に興味をもったのは、小学校入学の前です。昔から飛行機が好きで、大学は航空学科を選択し、前職では航空機の開発に携わっていました。
しかし航空機は開発に非常に長い期間を要し、複数の開発で最前線にかかわり続けるのは困難です。次の道を探していた矢先に朝日インテックの話を聞く機会があり、「医師の感性に応える開発」という点では、パイロットのための航空機開発と同じではないかと。工学で社会に役立つために生きるなら次はこの会社だと考え、今に至ります。
お二人とも同じ工学をこころざし、研究を続けてこられたのですね。天野教授はもともとCPUの設計にご関心があったと拝見しましたが、どのような経緯で青色LEDの研究へと進まれたのですか?
天野 : 私が学部生の頃、市場にマイクロコンピュータが流通しはじめたこともあり、CPUに興味をもつようになりました。しかし当時の国内の大学には、CPUの研究をやっているところがなかったのですね。「それならCPUの元となる半導体だ」と考えたときに、赤﨑勇先生の研究室の存在を知りました。そこで研究されている青色LEDが実現すれば、いろいろな可能性が広がると知り、そこからですね。
西内 : 青色LEDが難しいことは以前から耳にしていたなかで、日本で発明されたことを知ったときは驚きました。バブルの頃、日本の半導体産業は世界に名を轟かせていたと思いますが、天野教授が研究をはじめられた頃はいかがでしたか?
天野 : 半導体の研究開発は当時、企業では行われていましたが、大学はそれほどあてにされていなかったかもしれません。研究予算もアメリカと比べると、日本の大学にはあまり投資されない時期だったと記憶しています。
苦労を乗り越えられたのは
探究心と実用化への強い想い
青色LEDの研究には相当なご苦労があったとお聞きします。
天野 :
私が研究室に入った頃は、青色LEDの材料が変わっていった時代です。もともと化合物半導体を使うと光ることがわかり、赤外から始まり赤色、そして緑色まではできていました。青色を作るためには、「窒化ガリウム(※1)」を生成する必要がありますが、世界中の人がチャレンジしても誰も完成することなく、セレン化亜鉛という別の材料へと目が向けられていたのです。
赤﨑研究室で窒化ガリウムとセレン化亜鉛の両方の研究が進められるなか、私は耐久性と実用化の面から、窒化ガリウムしかないと考えていました。
(※1)化学式「GaN」で表記される、窒素とカリウムの化合物。ガリウムナイトライド(Gallium nitride)とも呼ばれる。青色LEDの材料として用いられるほか、近年はパワー半導体や水や空気の浄化装置などへの応用も見られる。
西内 : 天野教授の頭の中には、常に「実用化」の文字があったのですね。
天野 :
赤﨑先生はいつも、「世の中に使ってもらえなければ研究の意味はない」とおっしゃっていました。だから私も、研究の先の社会実装は昔から頭の中にありましたね。
窒化ガリウムは今でこそ基板が入手できるので、その上にLEDの構造を作るのは難しくありません。ところが当時は、その単結晶がなかった。というのも、窒化ガリウムは1000℃という高温な環境下で、反応性の高いアンモニアのガスを、窒素原子を送り込む原料として使わなければならない。高温なため上昇気流が発生し、基板となるサファイアにガスをうまく供給することが難しかったのです。そこでガスを可視化して動きを研究し、常識の5倍以上のスピードで供給するようにしたのですが、原子と原子の配列が大きく異なるため、きれいに結晶を作るとなると、また困難でした。
高い障壁を幾度となく乗り越えられたのですね。そんななか、ブレイクスルーのポイントはあったのでしょうか。
天野 : うまくいかない日々が続く中で、当時、赤﨑研究室の助教授だった澤木宣彦先生の話を思い出しました。通常、半導体は基板の表面をゴミ一つない状態にする必要があるのですが、澤木先生が言うには、研究室の先輩がボロンリンという結晶をシリコン基板の上に作ろうとしていた際、リン原子の原料を先に流しておくときれいな結晶ができたと。それがヒントになり、サファイア基板と窒化ガリウム結晶の間に、低温で窒化アルミニウムを成長させた「低温バッファ層」を挟んでみると、うまくいきました。
西内 : 安定して高品質結晶が作れるようになってからも、ご苦労があったと聞きました。
天野 : 青色LEDの実現のためには、不純物を混ぜて窒化ガリウムのp型半導体(※2)を作らなければなりません。亜鉛を不純物として選んだのですが、なかなか進展はありませんでした。その後、NTTへインターンシップに出していただいた際に、結晶に電子線を当てる実験装置に出会いました。研究室に戻り、亜鉛を混ぜた窒化ガリウムの結晶に光を当ててみると、青色の光を放つもののp型にはならない。さらに研究を続けた結果、亜鉛ではなくマグネシウムに行き着き、電子線を当てたところようやくp型ができました。
(※2)一番外側の殻の電子が1個少ない不純物を混ぜて、ホール(正孔)がたくさんある結晶のこと。一番外側の殻の電子が1個多い不純物を混ぜて、余った電子がたくさんある結晶を「n型半導体」と言い、LEDはp型とn型を合体させることで光る。なお、窒化ガリウムのn型半導体は、低温バッファ層で成長させた段階ですでにできていた。
長い時間をかけて完成したからこそ、感動もひとしおだったのではないでしょうか。
天野 : 結晶ができたときは、言葉になりませんでしたね。驚きで、何か工程を間違えたかと疑ったぐらいです。慌てて赤﨑先生に見せに行ったら、「きれいな結晶だけでは使えるかわからない。まずは解析をしなさい」と、冷静に言われたことを覚えています。
西内 : 天野教授の忍耐強さと探究心に驚きます。どうしても企業となると納期があり、そこに縛られがちです。当社のブランド品開発では納期よりも品質を含め圧倒的に良い製品を作ることを優先という社風ですが、天野教授の徹底的に物事を突き詰める姿勢には学ぶべきことがたくさんあります。
天野 : 結晶を作るのに1500回以上の試行錯誤があり、p型を作るのにもまたハードルがありました。電子線を照射する装置が大学になかったため、共同研究をしていた豊田合成まで、毎日のようにスクーターで1時間ぐらいかけて借りにいったことも思い出されます。焦りもありましたが、実験をすれば何かしら結果が出て、「なぜこうなるのか」という繰り返し。それが楽しくて仕方ありませんでしたね。
諦めることは決してしたくない
研究者を支える環境も大切
お二人は日本のものづくりの現状やこれからの可能性について、どのようにお考えでしょうか。
西内 : 若い研究者たちにやみくもに開発を急かすのではなく、「いいものを徹底的に追求して執念をもってやりなさい」と伝えなければと、天野教授のお話から思いました。
天野 : そうですね。基本的に諦めるという選択はしたくないと思っています。ただ我々も、すべての研究に時間をかけられるわけではありません。自分がアイデアを出して費用の援助を受ける科研費と違い、国から委託を受けるプロジェクト研究の場合は、大学と言えど企業と同じように納期があります。プランAができなかったらB、Cを走らせるなど、そのための準備は非常に大変ですね。しかし、託されている限りはしっかりと応えなければいけません。
研究に取り組むための資金や、研究設備を維持するための経費、知的財産を守るための費用などは、公的資金ではカバーしにくい現状だと聞きます。
天野 :
たとえば、半導体の研究にあたってはクリーンルームが欠かせません。先ほどお話したように、私が学生の頃は、企業中心で半導体の研究が進められており、クリーンルームのある大学はまれでした。赤﨑先生が名古屋大学に着任される際に、クリーンルームの必要性を大学に説き、文部科学省が整備してくださった。それは本当にありがたいことでした。
一方で、基礎研究だけではなく応用研究まで支援があると、さらに製品に近いところまで開発ができるのではと考えます。国としては、「基礎研究は大学で、競争領域に入ったら企業にバトンタッチしましょう」という姿勢なんですよね。加えて、公的資金は「教育」と「研究」で色分けされており、研究をするにあたって、学生のサポートにお金を出していただくことが難しい側面もあります。
研究開発のご支援をいただくため、名古屋大学では「青色LED基金」を設けました。青色LEDや未来材料研究支援事業のための基金となり、非常に多くの寄付をいただきながら、学生のサポートにも活用させていただいております。
西内 : すばらしい取り組みですね。医療機器においては、最近はAMED(※3)により国をあげて開発に取り組むことが増えています。天野教授のお話をうかがうと、国の発展のために何が重要なのかを、あらためて考える必要がありそうですね。日本は電子機器で世界のトップを走ってきたわけですから、そのベースとなる研究のためには、国も目線を変えていただかなければと感じます。
(※3)正式名称は日本医療研究開発機構(Japan Agency for Medical Research and Development)。国が定める「医療分野研究開発推進計画」に基づき、医薬品、医療機器・ヘルスケア、再生・細胞医療・遺伝子治療等6つの統合プロジェクトを中心とする研究開発を推進する機構。
安心で豊かなこれからのため
使命感とともに研究開発を行う
天野教授をはじめとする日本人3名のノーベル物理学賞受賞以降、深紫外線LEDやパワー半導体などテクノロジーはさらに進化を遂げています。この研究分野がかなえる未来についてお聞かせください。
天野 :
日機装と共同で研究を進めた深紫外線LED(※4)は、高い殺菌能力をはじめとした特長を持ちます。この技術を応用し、空気中のウイルスの不活化に効果がある機器を開発。新型コロナウイルスの影響から、多くの問合せをいただいている状況です。また、パワー半導体(※5)も省エネルギーの切り札として、脱炭素をめざす未来には欠かせません。
思い返せば、携帯電話の普及にともないLEDの需要が増えたり、東日本大震災のあと省エネルギーに注目が集まったりと、社会の変化とテクノロジーの進化が連動しているのは間違いありません。一方で、世界の半導体企業が「スマートフォンがビジネスになる」と考え、そこばかりに集中してしまうと、脱炭素や省エネルギーに役立つ技術が廃れてしまう危機感はあります。私としてはこれからを担う半導体のために、さらなる適した材料をいち早く開発しなければという使命感をもっています。
(※4)250〜350ナノメートルほどの波長の光を放つLED(青色LEDの波長は450ナノメートルほど)。青色LEDの技術を発展する形で量産化に成功し、環境、工業、医療分野などへの応用が期待されている。
(※5)より高い電圧まで耐えられる窒化ガリウムの特性を活かした半導体。家電製品や電気自動車など活用範囲は広い。シリコンに比べ電流の損失を10分の1に減らせるため、省エネルギーの切り札と言われている。
西内 : 最近の半導体不足の現状を考えたときに、日本が半導体分野で巻き返しをはかったり、パワー半導体で独占的になるという道を描いたりすることは可能でしょうか?
天野 : パワー半導体の分野では可能だと思っています。日本は他の国と比べると貢献度が高く、今後も力を入れていかなければなりません。パワー半導体は手間がかかるので、日本人のものづくりの気質にあっていると思います。
西内 : 省エネに対して日本全体がどこまで本気かということはありつつも、その方向に走るなかで半導体の存在がとても重要であり、パワー半導体が起爆剤になると感じますね。
天野 : パワー半導体は、未来のすべてのシステムにかかわるといっても過言ではありません。車も電化製品も、将来は飛行機も。それがなければ動かない、「鍵」となるものだと思います。
ヘルスケアから遠隔医療まで
技術革新で医療は
新しいフェーズへ
朝日インテックが携わる医療分野においても、新しい半導体がかなえることはたくさんありそうですね。
天野 : 医療分野でいえば、一つはウェアラブルデバイスが挙げられます。たとえば私が今日着けているデバイスにもLEDが使われ、血中酸素濃度やストレス度合いなど、24時間にわたりバイタルサインが確認できます。人間の健康をモニタリングして医療に活用するというのも、これから重要になってくるのではないでしょうか。
西内 : たしかに高齢社会で過疎地も増えるなか、遠隔医療が注目を集めていて、常時モニタリングをしながら何か異常があったときに医師が対応するという流れは、これからの医療のベースになってくるかもしれません。いざ治療となったときも、高速通信を使いながら遠隔で医師が行うなど、今までの当たり前から変わってくるだろうと当社も考えています。パワー半導体や窒化ガリウムの特性を活かして、ヘルスケアから遠隔医療まで世界に先駆けて作り上げられるといいですね。
天野 : 遠隔で手術となると、非常にたくさんの情報をリアルタイムで行き来させる必要があるでしょう。5Gの基地局で使われている半導体も実は窒化ガリウムであり、さらに次の世代の通信となると、もはや窒化ガリウム以外にはできないと言われています。
西内 : 今後は医療分野においても、半導体が鍵となるシーンがたくさんありそうです。
天野 : そうですね。一方で課題としては、ウェアラブルなどを使ってモニタリングとなった場合、個人情報をどこまで集めるかという問題はでてきます。例えばアメリカではボランティアでデータは集まりますが、日本では手続きが煩雑だったり、個人情報の提供に抵抗があったりと難しさを実感しましたね。
西内 : 先ほどの遠隔医療と関連することで、日本全国津々浦々まで標準化された高度な医療を届けるために医療機器メーカーとしてどうすべきかについては、今後の重要な課題と考えています。アクセスが困難な地域でも同じレベルの医療を実現するためには、ツールの開発が欠かせません。たとえば、大工がカンナを持っていても遠くの木は削れませんよね。現在の医療もこれと同じだと思います。医師がもつ技術やそれを助ける機器に、パワー半導体を活用した通信やセンシングといった電子工学の技術を組み合わせ、どこにいても標準化された高度な医療が受けられるようになれば、日本の医療は新しいフェーズに行けるのではないかと考えます。
信頼されたら結果で返す
若者には前を向いてほしい
「WAYS」では、ご出演いただく方の「道」や「信念」をうかがっています。それぞれ、人生における信条や哲学をお聞かせください。
天野 : 常に心に置いているのは、「信頼されたら、信頼されるだけの結果を残さなければならない」という考えです。学生時代から赤﨑先生にいろいろご指導をいただいたり、研究をさせていただいたりしたなかで、行き着いたのは信頼される人になることですね。
西内 : 私は「夢」を大事にすることです。夢を失うと、単なる日常の連続になってしまいますよね。もう一つは「社会貢献」。夢に社会貢献を結び付けながら実現していくことが、自分の人生の軸になっています。
新型コロナウイルスの影響もあり、世の中のマインドが落ちている状況だと思いますが、そんななかで、現役の研究者やこれからの若い世代が、前を向くためのエールをお願いいたします。
天野 : 新型コロナウイルスは大学にも暗い影を落としています。これまでは大学院のプログラムで海外へ行き、そこで刺激を受け大きく変わることができました。しかし海外渡航ができなくなり、それもかなわない状況が続いています。ただ、こういった状況について「自分が悪い」とは決して考えないでください。コロナは災害であり、これからいかに前を向いてふだんの生活を取り戻していくかが大切です。焦ること、自分を責めることなく、少しずつでいいので元気になってもらいたいですね。
西内 : これまでも私たちは、多くの自然災害に見舞われました。若い世代が今まで他人事のようにとらえていたとしても、コロナに関しては誰もが当事者です。切り抜けた先に必ず次につながる何かがあると信じて、前へ進んでもらいたいですね。天野教授のように、執念をもち、努力を継続することがエンジニアには欠かせません。最後まで誇りをもって、研究開発に邁進していただきたいと思います。
名古屋大学
教授
天野 浩HIROSHI AMANO
1983年名古屋大学工学部卒業。1988年名古屋大学大学院工学研究科博士課程後期課程単位取得満期退学。名古屋大学工学部助手、名城大学理工学部教授を経て現職。学部生時代から赤﨑研究室に所属し、窒化ガリウムを材料とした青色LEDの研究に取り組む。2014年、文化勲章受章。「明るく省エネルギーの白色光源を可能にした効率的な青色LEDの発明」により、赤﨑勇博士、中村修二博士と2014年ノーベル物理学賞を受賞。工学博士。
朝日インテック株式会社
取締役
西内 誠MAKOTO NISHIUCHI
1990年3月慶應義塾大学院理工学研究科を修了。1990年4月三菱重工業株式会社に入社、航空機の開発に従事。2005年朝日インテック入社。2016年ASAHI INTECC USA, INC. 取締役(現任)、2018年RetroVascular, Inc.(現 ASAHI Medical Technologies, Inc.)取締役(現任)、2018年朝日インテック 取締役(現任)。入社以来、一貫してメディカル事業に携わっており、医療機器の開発を担当。研究開発・技術関連の豊富な経験と実績を背景に、2019年よりメディカル事業統括本部ブランドビジネスユニット長も務める。