道は、必ずひらける。

WAYS Your dreams, Woven together.

Produce by 朝日インテック

WAYS 道を拓く Talk session 道を拓く Talk session

vol.3-1

MAYA YOSHIDA

SEPTEMBER 22, 2022

サッカー日本代表 吉田 麻也 [前編]日本のセンターバックが選んだ未知を知り、拓き続ける「道」
サッカー日本代表 吉田 麻也 [前編]日本のセンターバックが選んだ未知を知り、拓き続ける「道」

サッカー日本代表 吉田 麻也 サッカー日本代表 吉田 麻也

2018年より朝日インテックの広告キャラクターを務める吉田麻也選手。サッカー日本代表のキャプテンとして、2022年のワールドカップ カタール大会の命運を握る一人でもある。世界を舞台に活躍する吉田選手の姿は、グローバルニッチ市場でのナンバーワンをめざす当社にとって刺激となり、道標にもなっている。今回はそんな吉田選手に、歩んできたWAYS=「道」を聞いた。

INDEX

幼少期からサッカーに
熱中する毎日
常に求め続けた「知らない世界」

MAYA YOSHIDA

サッカー日本代表 吉田麻也選手

当サイト「WAYS」には、「道」という意味があります。吉田選手がサッカーの「道」を志したきっかけから教えていただけますか。

僕が物心ついた頃にJリーグがスタートし、子どもたちはみんなサッカーに夢中になりました。2人の兄が先にサッカーを始め、それに付いていったのがきっかけです。小学校3年生ぐらいに地元の少年団に入りました。
当時は「遊び=サッカー」。友だちが集まれば、5対5とかに分かれボールを蹴り合う感じでした。長崎の実家は目の前が坂で、小学校低学年の頃は、ボールを上に蹴っては、転がってくるボールをまた蹴りと、一人で練習をしていました。

名古屋グランパスU-15への入団はどのような経緯だったのですか。

体が大きかったので、割とそれだけでサッカーをしていたんです。技術的なことや、頭を使ってのプレーはあまり多くなかったです。同学年とプレーするときもフィジカルの部分で勝っていたので、それを兄は良くないと思ったみたいですね。井の中の蛙にならないように、知らない世界を見てほしいと、グランパスのセレクションの申し込み用紙を送ってきてくれました。ちょうどゴールデンウィークか何かのタイミングだったので、力試しに挑戦してみたら受かってしまいまして、地元を離れなければならないので悩みましたが、行く決意をしました。

セレクションに入ったあと、「知らない世界」は広がっていましたか。

中学1年生からグランパスに入ったのですが、周りのみんなはすごく上手くて衝撃を受けたことを覚えています。自分と同じぐらいの体格のチームメイトが3、4人いて、そういう面でも知らない世界に飛び込んでいったのは大きかったなと思います。兄と中学3年間ともに暮らすことになったのですが、最初はホームシックになって大変でした(笑)。その後はチームの友だちも増えていったので、毎日練習に行くのが楽しかったですね。

2007年には名古屋グランパスのトップチームに昇格されました。この頃の経験がご自身にもたらしたものを教えてください。

中学1年生からプロ3年目までの計9年プレーさせていただいて、サッカー選手としての吉田麻也のベースを築いてくれたのは、グランパスでの指導が基礎であることは間違いありません。とても感謝していますし、自分の人生にとって大事な時間だったと思います。いろいろな指導者、先輩たちに巡りあい、チームメイトと切磋琢磨することができて。最初はホームシックになったのに、名古屋を旅立つ時はグランパスが大好きになっていました。妻も豊田市出身なので、この辺りは第二の故郷のようなものですね。

夢を叶えるべくヨーロッパへ
後人のために
道を切り拓いていく

サッカー日本代表 吉田麻也選手

吉田選手は日本を代表するセンターバックですが、元々はフォワード志望だったとうかがいました。

だいたいサッカー選手は上手い人がフォワードをやるのですが、僕はどんどん下がっていって今そういうところにいます(笑)。小学生の頃はフォワードでしたが、パスを出すポジションが好きなことに気づき、その後はミッドフィルダーを長くやっていましたね。グランパスに入ってからは、もう一段階後ろの守備的なミッドフィルダーになり、プロに上がるときもそのポジションでした。開幕戦後、センターバックが3人ぐらいケガをしてしまい、繰り上げ繰り上げで出場のチャンスが来たんです。それを活かしたというよりは、当時の監督が我慢して使ってくれたなと思います。

センターバックならではのやりがいや難しさ。吉田選手はどう感じていますか。

難しさとしては、間違いなく失点に直結するポジションなので、そのプレッシャーがあること。ミスが起これば批判もされますし、そのなかで戦わなければいけません。楽しさで言えば、相手と駆け引きをして攻撃を未然に防いだり、相手を誘い込んで守備が上手くいったりしたときは、すごく気分がいいですね。

ご自身の強みについて、どう分析されていますか。フィジカル面だけでなく、最終ラインからのキックの精度の高さも評価されています。

日本人にしては体格に恵まれていますし、フィジカル的な要素は親に感謝しています。それ以上に頭で考えてプレーすることが強みだと思っているので、相手の先だったり、味方の流れだったり、精神的なところを読んでカバーするのは得意ですね。
今、センターバックの右も左もできるのは、昔から左右両方蹴られるように練習していたからだと思いますし、短いパスだけでなく長いパスも蹴られるなど、武器を何個も持っていたほうが確実に選手としての幅が広がるので。最近はキックの精度が低いので気をつけています(笑)。

2010年オランダのVVVフェンローへ完全移籍され、以降はイギリスのサウサンプトンFC、イタリアのUCサンプドリアで活躍されます。海外でのプレーは、吉田選手のWAYSにおいてどのような位置付けですか。

ヨーロッパでサッカーをすることはずっと目標にしていましたし、特にイギリスのプレミアリーグでプレーするのは夢でもありました。それが叶った嬉しさがある反面、「もっとできたんじゃないか」という悔しさもあります。どんなスポーツのアスリートも現状に満足することはほぼなく、何かを達成したときには既に次の目標があります。もっと上に行くために次はどうしたらいいか、常に考える毎日なんです。
まずかったなと思うのは、プレミアリーグでプレーすることは思い描いていたものの、そこからステップアップすることをイメージしていなかったことです。とはいえ、当時アジアのセンターバックが評価されづらいなかで、自分が道を切り拓いてきたという自負と、ある一定の結果を出したという思いがあります。今の若い選手たちが、これを一つの通過点として次のレベルに到達し、また次の世代がそれを超えていくという流れになってほしいですね。

あらためて吉田選手がサッカーを続ける理由や、どんなところに魅力を感じているか教えてください。

目標は変化していますが、やっぱり毎日上手くなりたいというのが一つ大きなベースにあります。20代前半の頃は、「ヨーロッパで活躍したい」とか自分の夢がすごく強かったのですが、30歳ぐらいになってから、「日本のサッカーを強くしたい」、「世界の中で日本の価値を上げていきたい」という思いが強くなっているのも事実でして、そこが今の自分の大きなモチベーションになっていますね。
代表でプレーするのは簡単なことではありませんが、サッカーに限らず自分の国を背負って仕事ができるという、こんな素晴らしいことはないと、いつも代表戦で戦う時に感じています。こういった一つひとつが、自分にとってのサッカーの魅力じゃないかなと思います。

オンリーワンを活かすために
大切なのは
基準を世界に据えること

サッカー日本代表 吉田麻也選手

オンリーワンの技術をもって、世界に挑み続ける朝日インテック。吉田選手にはどのように映っていますか。

朝日インテックには毎年うかがっていますが、社員の方々の表情や会社の雰囲気から、勢いや活気が感じられますね。
すでにある市場に入っていくのは、非常に難しいことじゃないですか。僕もヨーロッパのサッカーというマーケットに、アジア人として、しかもディフェンダーとして参入していくのはすごく難しかった。まずはヨーロッパのセンターバックができないことや苦手としている部分を、自分の強みにしつつ、ヨーロッパのスタンダードなレベルにも持っていくという、弱点を補いながら長所を伸ばしていくことを意識しましたね。
朝日インテックの広告キャラクターをやらせていただいて、何が企業としての強みなのかも勉強させてもらいました。世界で戦う上で、その強みを活かし伸ばしていくこと、基準を日本ではなくワールドスタンダードに持っていくことは、非常に大事ではないかと思います。

吉田選手も海外に移籍されたとき、日本と世界とのスタンダードの違いを感じられましたか。

技術面で劣っているとは思いませんでしたが、肉体的なところでヨーロッパで戦える土台がしっかりと構築されていないと感じました。グランパスの頃は体重が80kgちょっとしかなく、その後87kgぐらいまで大きくして。そうやって肉体的な弱点を補いながら、オランダのセンターバックよりも自分が優れている技術を試合で出して、差別化していきました。
価値観の違いもすごく感じましたね。オランダ、イギリス、イタリアと3カ国で生活するなかで、国によって価値観も国民性も違いました。日本人が他者をリスペクトするのはいいことですが、他者を気にするあまり自分のアイデンティティーが失われているのも事実です。イタリアでは特に、自分のアイデンティティーを出してなんぼという世界なので、いい人で終わってはダメだと感じました。何か芯があったり、自分のキャラクターをしっかり持っていたりする人が評価されるヨーロッパの価値観は、僕の性格や気質に合っていました。

体が資本のアスリートとして、朝日インテックもかかわる医療分野について考えることはありますか。

ヨーロッパで13年プレーをしていますが、今のサッカーはどんどん激しさが増していて。肉体が強くなければ戦えないところまで来ているんですね。その肉体をどうやって作っていくのか、疲労したらどうやって回復させていくか、すごく重要視されています。 スポーツ医学が進化するなか、メディカルチームやメディカルアイテムが非常に大切になってきています。代表チームでもいろんな器具を使いリカバリーを促しており、もうこれなしでは世界のトップについていけないというぐらい、比重が大きくなっていますね。 だから自分も、知識やノウハウをアップデートしなければいけませんし、クラブや代表チームも、他の国やチームのアップデートに遅れをとらないようにしなければ、どんどん差が出てしまうと感じています。

こんな風に医療が進化したらいいな、というのがあれば教えてください。

若返る医療です(笑)。誰にも時間は平等に流れていて、限られた時間で何をするのかは、アスリートの短いキャリアのなかでも大事なパートだと思います。確実に20年前よりは選手生命が延びていますよね。ひと昔前なら、僕の歳だったらいつ引退してもおかしくない状況でしたが、今はもっともっと選手としての寿命も延びているし、間違いなく医療の発展によるものが大きいのではないでしょうか。

(後編に続く/10月上旬 公開予定)

取材・文=鬼頭英治(エディマート)/
写真=太田昌宏(スタジオアッシュ)

サッカー日本代表 吉田麻也選手

サッカー日本代表

吉田 麻也MAYA YOSHIDA

1988年生まれ、長崎県出身。12歳のときに名古屋グランパスU-15に合格。2007年にトップチームに昇格し1年目から試合に出場。2009年にオランダ 1部リーグVVVフェンローに移籍。2012年にイングランド プレミアリーグのサウサンプトンFC、2020年にイタリア セリエAのUCサンプドリアへ。2022年7月より、ドイツ ブンデスリーガのシャルケ04へ移籍。日本代表としては2008年に北京オリンピックに出場、2012年ロンドン五輪、2021年東京五輪にオーバーエイジ枠で出場し、キャプテンを務める。2012年のアジアカップで優勝し、以降不動のセンターバックとして活躍。ブラジル大会、ロシア大会の2大会連続でW杯に出場。カタール大会ではベスト16突破を目指す。

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