朝日インテックでは、地元チーム・地元出身アスリートへの支援や、スポーツイベントへの支援を通し、広く社会に貢献する取り組みにも力を入れている。2017年からは愛知県名古屋市出身の女子プロゴルファー・服部真夕プロをサポートし、翌年からは所属選手として契約。プロテストにトップ合格後の快進撃から、スランプも経験をし、再び活躍の舞台へと上がる服部プロの「信念」や「道」とは──。今回は服部プロと朝日インテック代表取締役副社長の宮田憲次が、互いの想いを語り合った。
INDEX
プロテスト合格からの快進撃
その後に立ちはだかった困難
MAYU HATTORI
最初に、服部プロがプロゴルファーの道へ進まれたきっかけからお聞かせください。
服部 : 小さい頃からスポーツが好きで、将来は何か関連する仕事に携わりたいと漠然と思っていました。初めてゴルフにふれたのは10歳です。父親にゴルフ練習場に連れていってもらい、クラブを握ってひたすら打つのですが、なかなか当たらなくて……。それでも何球に一度か当たった時の感触がとても爽快で、「楽しい!」と思うようになりました。程なくして祖母が坂田塾(※)の募集告知を見つけたのをきっかけに、軽い気持ちで面接を受けてみたら合格してしまって(笑) 塾の同年代の子たちがプロの試合に出るようになるとそれが刺激になり、「自分もプロになりたい」と考えるようになりました。
※坂田塾:プロゴルファーの坂田信弘が1993年に熊本で開校したゴルフ塾。子どもたちからは一切お金を受け取らない形式で、熊本以外にも、札幌、福岡、東海、船橋、神戸と展開された。2023年4月に閉塾。
宮田 : 私もゴルフを始めたきっかけは父親です。多忙な父親が「クラブを持って走っておけ」という感じで、唯一遊んでくれた場所がゴルフ場。ゴルフにふれたきっかけは同じでも、服部プロは難関の塾に一発合格し、そこから道を極めていったことに敬服します。聞けば、坂田塾は親が一切口出しできないんですよね。私は服部プロのお父様にもお会いしたことがありますが、娘に言葉をかけたいところをグッと我慢し、すべてを塾に任された点もすごいと思います。
服部 : 塾の指導は厳しかったですね。素足でひたすら6番アイアンを振り続けるときもありました。母親は当初ゴルフについて反対していたのですが、坂田塾は塾生にクラブを無料で提供してくださって、練習場もラウンドも無料で使える環境でありがたかったです。
2007年にプロテストをトップ合格され、2008年にはツアー初優勝。2012年までにツアー4勝と快進撃を続けられました。当時の好調の要因はどこにありましたか。
服部 : プロテストでは、まさか自分がトップ合格できるとは思っていませんでした。がむしゃらに戦ったらシード権が獲得でき、さらに翌年も優勝できて。ショットを打てばいいところへ行き、何も考えなくても上手くいっていた時期ですね。当時はとにかく前しか見てなかったかもしれません。
宮田 : プロテストにトップ合格したら、後半戦10試合に出られるという権利が当時ありましたね。ベテランもたくさんいる中で、ルーキーでシード権まで獲得してしまうとなると、普通であれば力関係で恐縮しそうなところを、チャンスを確実にものにする服部プロの勝負強さを感じましたね。
快進撃から一転して、2013年からは一時期スランプに陥り、アプローチイップスに苦しまれました。
服部 : アプローチに違和感が出てきた当初は、「何となく調子が悪いな」ぐらいにしか思っていませんでした。試合を重ねていけば良くなるだろうと考えていたのですが、どんどん悪い方に行ってしまいましたね。1年ぐらいそんな感じで続けていたのですが、とんでもないミスが出るようになって。いろいろなことを試しましたがひどくなる一方でした。
宮田 : 「飛ばせばいい」「寄せればいい」訳ではなく、ゴルフはスコアをまとめなければいけませんからね。企業経営も数字が常につきまといますし、アプローチイップスに悩まれ、調子を落とされていた当時の服部プロの心中を察します。何事においても課題や困難はつきものです。朝日インテックではものづくりをしていますが、何かだけが秀でていれば良いというものではなく、トータルバランスが求められます。そういう意味では、私は良いときにこそ、その裏にどんなリスクが潜むのか、絶えず相反することを考えながら経営に携わるようにしています。
ひたむきに、
コツコツと積み上げる
ものづくりとゴルフの共通点
朝日インテックが服部プロのサポートを決められた経緯を教えてください。
宮田 :サポートを決めた時期、確かに服部プロは不調だったかもしれません。しかし服部プロがプロとして、ひたむきにコツコツと積み上げる姿は、朝日インテックの企業姿勢、言い換えれば「生き様」と重なるところがありました。
服部 : 本当にうれしかったです。調子を落としている時期だったので驚きもありましたが、期待に応えようと一層強く思いました。カテーテル治療に必要な、さまざまな医療機器を開発されていると思っていたら、ゴルフシューズのワイヤーにも技術を発揮されていることを知り、より親しみも感じましたね。毎年、朝日インテックさんのゴルフコンペに参加させていただき、社員の皆様とも交流するのですが、私の好不調にかかわらず、いつも温かい声をかけてくださいます。
2020年のオフからアプローチを左打ちに変更されたのを機に、イップスを克服されました。その後2021年のステップ・アップ・ツアーでは6年ぶりの勝利を手にされます。
服部 : プライベートで行ったゴルフで、今まで打てなかった右アプローチのシチュエーションを左で試したら、久しぶりに良い感じで打てたので、すぐに左のウェッジを買いに行きました。ただ当時、右でも復調の兆しを感じていたので、なかなか左アプローチに移行できずにいたのですが、試合1日目でミスショットを打ったのを機に、2日目からは左に切り替えました。ステップ・アップ・ツアーは下部ツアーにはなりますが、久しぶりに手にした優勝は、レギュラーツアーに負けないぐらいうれしかったですね。
宮田 :今までの「当たり前」を変えるのは、簡単なことではなかったと思います。当社も元々はステンレスロープが主要製品でしたが、プラザ合意のあたりから、この分野のままでは厳しいという状況に陥りました。そこで創業者の宮田尚彦が、退路を断つ覚悟で医療分野への進出を決断し、今に至ります。我々はものづくりメーカーですから、研究開発が欠かせません。「0」から「1」を生み出す仕事というのは、ほとんどが失敗なんです。それでもチャンピオンになれる「1」を生み出すことができれば、あとは量産に向けてやり切るだけ。服部プロも右アプローチという退路を経ち、努力を重ねた結果、左アプローチという「1」を手にしたことで、活路が開けたのでしょうね。
服部 : ありがとうございます。プロゴルファーの世界では、本当に良いショットは1日に1打あるかないか。あとはミスをどれだけ少なくしてスコアを積み重ねていくかの繰り返しです。失敗を恐れず最後までやり切る朝日インテックの姿から学ぶことも多いですし、引き続き自身が成長できるようにサポートいただけたらと思います。
2023年11月末のファイナルQTで、2024年の4日間競技のシード権を獲得されるなど、好調が続いています。さらなる飛躍のための課題をお聞かせください。
服部 :2023年シーズンは春先の調子が悪かったのですが、少しずつ自分の体の可動域を増やすようなトレーニングに変えていったら、夏頃から調子が上がってきました。36歳になり、デビューした頃と可動域が変わってきているため、トレーニングを重ねながら、今まで自分ができなかったスイングや動きをしていくことが、スコアにつながっていくと考えています。何よりもケガのないように1年間戦っていきたいです。
宮田 : どれだけ成長しても基礎の部分は大切ですね。そして健康であることも欠かせません。健康であってはじめてパフォーマンスが発揮できるのは企業も同じ。私自身も社員が健康に働ける環境をこれからも作っていかなければと思っています。
目の前の一打に集中する力
体が続く限り
ゴルフを続けたい
「WAYS」では、ご出演いただく方の「道」や「信念」をうかがっています。それぞれ、人生における信条や哲学をお聞かせください。
服部 : ラウンドしているときに常に心に置いているのは「一打集中」です。ゴルフは打つ時間よりも、歩いている時間のほうが圧倒的に多いスポーツです。移動中にいろいろ考えたり、ギャラリーとの交流があったりするのですが、いざ目の前の一打を打つときには集中力を高めなければなりません。
宮田 : 私は常に心にあるのが「感謝」と「忍耐」です。今の朝日インテックを築いてくれた先人への「感謝」、そして学生時代から今に至るまで、さまざまな人に出会い、支えてくださったことに対する「感謝」です。「忍耐」は経営においても、ものづくりにおいても必要です。父親からは「教科書に書いてあることも大切だが、それ以上に教科書に書かれていないことを見つけ、研究することも大切だ」と教えられました。我慢をして、我慢をして、我慢をしてようやく何かを見つける。そして周囲に感謝をする。このことを忘れずにいたいですね。
最後にお二人から今後の抱負や決意をお願いします。
服部 : 前半戦に出られるのが久しぶりなので、このチャンスを活かして、後半戦にもつなげられるように頑張りたいです。この年齢になると、同年代で引退する選手やツアーを休む選手も出てきます。私は体が続く限り長く現役でいたいと思っていますので、体をケアしながらプレーを続けていきたいですね。そして朝日インテックさんもさらに発展いただき、末長くお付き合いできればと思います。
宮田 : ありがとうございます。朝日インテックとしては、医療機器の分野をビジネスフィールドにしています。このフィールドを見渡すと、まだ医療が行き届いていない地域や、人生100年時代に向けてできることがたくさんあります。そういったニーズに寄り添いながら、社会に貢献する会社であり続けたいですね。服部プロの活躍は私たちにとっても喜ばしい限りです。ここ一番の勝負勘を十分に持った選手だと思いますので、これからもさらなる活躍を期待しています。
女子プロゴルファー
服部 真夕MAYU HATTORI
1988年生まれ、愛知県名古屋市出身。坂田塾を経て2007年にプロテストトップ合格。同年の「日本女子オープンゴルフ選手権競技」で9位、「マスターズGCレディース」で3位に入る活躍でツアーシード権を獲得。プロテストトップ合格からの同年シード獲得は日本人選手として初。2008年にツアー初優勝。2017年より朝日インテックがスポンサー支援をし、2018年から所属選手として契約。2023年末現在JLPGAツアー5勝、ステップ・アップ・ツアー1勝。
朝日インテック株式会社
代表取締役副社長
宮田 憲次KENJI MIYATA
1993年愛知工業大学工学部機械工学科卒業。1993年朝日インテック株式会社入社。ASAHI INTECC THAILANDの取締役副社長として医療機器の生産工場の立ち上げに携わる。その後、デバイス事業部長、技術改善室室長、常務取締役などを経て、2016年より現職。